シューメル・シューミ 90年マカオのバックボーン

某F1雑誌にシューミの事が特集記事として取り上げれています。
"シューメル・シューミ"とは、ベネトン時代にドイツ国内で彼に付けられた蔑称…"シューメル"とは"インチキ"という意味が有ります。


レース以外の事では、彼の人望その他を評価した上で。レース中に彼が時折人が変わってしまうという論評でした。ジキルとハイドみたいにって感じで。


そこで、vsヒルやvsジャックの事が触れられていたのですが…彼がレースでそうなった根本に触れられていなかった…。ちなみに、記事中にはシューミのレースの対極のフェアプレー代表レーサーの一人にミカ・ハッキネンの名前がありました。彼がフェア・プレー代表なのは異論どころか私の本館でも折に触れそういっているのですが…。

先の雑誌でもセナがシューミにレースでのラインでクレームをつけていた写真が掲載されていました。テレビでも幾度と無く放映されているシーンなので覚えのある人も多いのでは?
雑誌ではシューミが後姿なのですが、別方向からの画像での彼の表情は口がへの字で「なんか文句言われてるけど仕方なく聞いている」って感じが見え見え…。この数年後、シュー・フェラーリハッキネンマクラーレンの時代にハッキネンがレース後にシューミにライン取りのクレームをつけた事が有ります。ハッキネンが両手でマシンのポジションを示してライン取りをシューミに説明してる画像で、これも数多く掲載されています。興味深いのは、セナからのお説教の時ハッキネンからの時のほうがシューミの表情が罰が悪そうで真摯な態度って感じだったのが印象深く残っています。


実は…あくまでも私の私見の範囲ですが…このハッキネンこそがシューミが、彼が禁断の木の実の味…レース中に思い切った手を打っても勝ちは勝ちになる事を覚えるきっかけになったのではと思っています。


では、以下にその説明を…(って、没ネタの以前書いた文章ですけど…)

彼らの説明は今更と思います。が、ほとんどの雑誌・WEB等の記事がハッキネンシューマッハの歴史が90年の"マカオGP"から語られる事にハッキネン・ファンの私としては大きな憤りを感じているのですよ。

・なぜ、ハッキネンは迂闊とも思えるオーバーテイクを試みたか?
・なぜシューマッハはクラッシュ覚悟でブロックしたか?
これに至るバックボーンというか、二人の心情のきっかけはマカオより少し前だったことを…

 90年、ハッキネンはイギリスF3、シューマッハはドイツF3でそれぞれチャンプになります。これ以前も二人はカートで何回か同じレースに出ていたのですが、そちらの成績は残念ながら不明です。

 当時からF3としてはイギリスの方がドイツよりF1に近いという風潮はすでにあり、実際にハッキネンロータスからのオファーをすでに受けて、来シーズンのF1デビューが決まっていました。

 この年のイギリスF3シリーズはドイツのシリーズより先に最終戦を終えていました。ハッキネンの次のレース、マカオGPまでは時間があます。ここでチーム(このときのハッキネンの所属していたチームは"ウエスト・サリー・レーシング"です。そう、セナやバリチェロ等も所属していた名門チームです)は、まだシリーズ戦の残るイタリア・ドイツに武者修行というか道場破りというか、マカオGPまでの腕慣らしの為のスポット参戦を企画します。

 実際に同じF3と言っても、各国シリーズでは使用するタイヤをはじめ、いろいろと細かいレギュレーションの差があります。さらに、シリーズレギュラーの選手は当然コースもよく知っているいます。ですからハッキネンが勝てなかったとしても当たり前でハッキネンの名が下がることは無く、勝てば不利な条件でも勝てるドライバーとさらに名が上がると言う、ノーリスク・ハイリターンな状態でした。と言う訳でチームもハッキネンもレース間隔を空けない為の練習気分でスポット参戦します。

 この年のドイツのF3チャンピオンはシューマッハです。ドイツ国内ではかなりの評判でした。しかし、ヨーロッパ全体のレース界ではハッキネンの評判の方がかなり上だったようです。実際、ベンツでの若手育成プログラムの3人シューマッハ・ハインツ・ベンドリンガーの中でもシューマッハの評価が一番下でしたから…(念の為に説明するとシューマッハの評価が悪いのではなく、ハインツとベンドリンガーの評価が高かったって感じです)

 負けて元々勝って丸儲けのハッキネンだったのですが、そんな彼が参加したドイツのF3レースではシューマッハをぶっちぎって優勝してしまいます。その結果、それまでシューマッハに熱い期待を寄せていたドイツ国内からまで「所詮シューマッハドイツ国内だけ」と言う評判がチラホラ立ってしまいます。

 そして、次に二人が顔を合わすのがマカオGPです。この時点で、二人の感情は…
ハッキネン:自分が今F3で一番速い
(実際にインタビューで「多分、今F3では僕が最速だと思う(笑い)」と答えたことがあったそうです…)
シューマッハハッキネンだけには何があっても負けられない

 そしてマカオGP、当時はマカオGP一日に2回レースをやり2回のレースのトータルタイムで順位が決められました。

 第一レースはハッキネンシューマッハに大差をつけて優勝、これで第二レースは仮にシューマッハが前でもハッキネンはすぐ後ろを走っているだけで総合優勝が手に入ります。

 そして、第2レースはその通りの展開に…シューマッハが前、ハッキネンがその直後という状態です。誰もがこのままゴールをしハッキネンが優勝すると思い始めた時、ハッキネンシューマッハオーバーテイクを仕掛けます。

 ハッキネンには「すでに自分はF1ドライバー」「自分が不利な条件で勝った相手に、同条件でのこのレースで負ける訳が無い」というプライド(というより慢心)が彼にはあったようです。そして結果は…有名な話ですね…。ハッキネンのチームのスタッフはハッキネンオーバーテイクを仕掛けた事に驚き「当時F3で無線が普及していれば絶対に現状維持を指示出来たのに…」とコメントしています。

 シューマッハにしてみればこのままゴールしても負け…だったら、両者が、自分もクラッシュしてもハッキネンがクラッシュすればリザルト的には両者クラッシュですから…マシンを当てる事をじさずのブロックで彼が損をする事は無いのです。そして、実際にマシンが接触し、結果はハッキネンのマシンがガードレールにぶつかり、その場でクラッシュ。シューマッハの方はダメージが軽微でそのまま走行を再開出来、シューマッハの優勝…(ちなみに、この年のマカオの表彰台はシューミ・アーバイン・サロ…99年に2連連続チャンプを狙うハッキネンを苦しめたフェラーリの3人だったのですね…)

 マカオの後は日本の富士でもF3のレースがあったのですが…ハッキネンの車はマカオでのクラッシュの影響が大きく戦闘力は格段に落ちていたのでシューマッハとの勝負は望めない状態だったそうです。

そして、後の歴史は皆様ご存知のとおり…

 実は私、97年のジャックVSシューマッハ等でのシューのクラッシュ覚悟と思える行動等がたまに見られたのは、シューマッハの心のどこかに、このマカオの勝利があったんじゃないかな〜って思っています。


まぁ、露骨にブロックして当てたってのは、この時とヒル、ジャックでしたが。…他にも自分がクラッシュしたマシン(すでに、前輪が片方もげている)で、ある程度動くならコースの邪魔になら場所に止めるべきを何とかコース上に戻して止めてようと試みる(本人は3輪でもピットに戻るとしたと言っていたけど)。これはコースを塞いでスタート・ディレイに持ち込んでスペアカーでの再出を狙ったとも言われています。(ペースカーならもちろん、単なる赤旗再スタートではスペアカーは許されません。完全にスタート遅延となってグリッドに付くところからやり直しになって初めてスペアカーは許されます。)とかしていたからね。


そーいえば、トッドがモナコの裁定に対して「彼がF1で成した事、してきた事をかんがえれば、このよう裁定は下せない」とかなんとか…たしかにチャンピオン数などのなしてきた記録偉大だけど…"してきた事"を考えると故意ととられても…


私的には、上位タイムの削除位でよかったのではと…。ただし、きちんとテレメトリやラジオレコード等の証拠を洗って、結果が故意と判定した場合は2〜3戦の出場停止くらいでも良かったのではと思っていてます。あの裁定は思いっきり中途半端…「なんか〜、わざとっぽいし、こんなもんで…」って感じ…。あの中途半端な裁定がGPDAやマスコミの話題を大きくした気がします。


まぁ、見方によっては、それほど純粋に勝つ事に貪欲って事なんでしょうけど…