ハッキネンvsシューマッハ・マカオ前

以前。お伺いした中からリクエストがあったのでUPしてみました。

彼らの説明は今更と思います。が、ほとんどの雑誌・WEB等の記事がハッキネンシューマッハの歴史が90年のマカオGPから語られる事にハッキネン・ファンの私としては大きな憤りを感じているのですよ。

なぜ、ハッキネンは迂闊とも思えるオーバーテイクを試みたか?
なぜシューマッハはクラッシュ覚悟でブロックしたか?
これに至るバックボーンがあることを…

 90年、ハッキネンはイギリスF3、シューマッハはドイツF3でそれぞれチャンプになります。これ以前も二人はカートで何回か同じレースに出ていたのですが、そちらの成績は残念ながら不明です。当時からF3としてはイギリスの方がドイツよりF1に近いという風潮はすでにあり、実際にハッキネンロータスからのオファーをすでに受けていました。

 この年のイギリスF3シリーズはドイツのシリーズより先に最終戦を終えていました。ハッキネンの次のレースのマカオGPまでは時間があるので、ここでチーム(このときのハッキネンの所属していたチームは"ウエスト・サリー・レーシング"です。そう、セナやバリチェロ等も所属していた名門チームです)は、まだシリーズ戦の残るイタリア・ドイツに武者修行というか道場破りというか、マカオGPまでの腕慣らしでスポット参戦を企画します。実際には同じF3と言っても、各国シリーズで使用するタイヤをはじめ、いろいろと細かいレギュレーションの差があります。しかも、シリーズレギュラーの選手は当然コースもよく知っているのでハッキネンが勝てなかったとしてもハッキネンの名が下がることは無く、勝てば不利な条件でも勝てるドライバーとさらに名が上がると言う、ノーリスク・ハイリターンな状態でした。と言う訳でチームもハッキネンもレース間隔を空けない為の練習気分でスポット参戦します。

 この年のドイツのF3チャンピオンはシューマッハです。ドイツ国内ではかなりの評判でした。しかし、ヨーロッパ全体のレース界ではハッキネンの評判の方がかなり上だったようです。実際、ベンツでの若手育成プログラムの3人シューマッハ・ハインツ・ベンドリンガーの中でもシューマッハの評価が一番下でしたから…

 負けて元々勝って丸儲けのハッキネンだったのですが、参加したドイツのレースではシューマッハをぶっちぎって優勝してしまいます。その結果、それまでシューマッハに熱い期待を寄せていたドイツ国内からまで「所詮シューマッハドイツ国内だけ」と言う評判がチラホラ立ってしまいます。

 そして、次に二人が顔を合わすのがマカオGPです。この時点で、二人の感情は…
ハッキネン:自分が今F3で一番速い
(実際に当時のインタビューに「多分、今F3では僕が最速だと思う(笑い)」と答えたことがあったそうです…)
シューマッハハッキネンだけには何があっても負けられない

 そしてマカオGP、当時はマカオGP一日に2回レースをやり2回のレースのトータルタイムで順位が決められました。

 第一レースはハッキネンシューマッハに大差をつけて優勝、これで第二レースは仮にシューマッハが前でもハッキネンはすぐ後ろを走っているだけで総合優勝が手に入ります。そして、第二レースはその通りの展開に…シューマッハが前、ハッキネンがその直後という状態です。誰もがこのままゴールをしハッキネンが優勝すると思い始めた時、ハッキネンシューマッハオーバーテイクを仕掛けます。
 ハッキネンには「すでに自分はF1ドライバー」「自分が不利な条件で勝った相手に、同条件でのこのレースで負ける訳が無い」というプライド(というより慢心)が彼にはあったようです。そして結果は…有名な話ですね…。ハッキネンは後悔から号泣しながらピットに戻ります…(この為、この頃から泣きのハッキネンってイメージはあったんです)。
ハッキネンのチームのスタッフはハッキネンオーバーテイクを仕掛けた事に驚き「当時F3で無線が普及していれば絶対に現状維持を指示出来たのに…」とコメントしています。

 シューマッハにしてみれば両者が自分もクラッシュしてもハッキネンがクラッシュすればリザルト的には両者クラッシュですから…

 マカオの後は日本の富士でもF3のレースがあったのですが…ハッキネンの車はマカオでのクラッシュの影響が大きく戦闘力は格段に落ちていたのでシューマッハとの勝負は望めない状態だったそうです。

そして、後の歴史は皆様ご存知のとおり…

 実は私、97年のジャックVSシューマッハ等、シューのクラッシュ覚悟と思える行動等がたまに見られたのは、シューマッハの心のどこかに、このマカオの勝利があったんじゃないかな〜って思っています。

と言う事で、次回は「F1経費UPの犯人は…ホンダ第2期とブリヂストンの影響…」をUPする予定です。