F1経費UPの犯人は…ホンダ第2期とブリヂストンの影響…

リクエストがあったのでUPします。長文です…
経費の上昇は自然になるだろうし、いろいろな理由が考えますので今回の記事はいろいろな反論があるかもしれませんが、ちょっとした私の思い付きですので…平にご容赦を…

最近はF1の経費削減の話題が多い…70〜90年代にはあまり問題にならなかった気がする。
確かに90年前後は、ちょっと参加したチームが全然駄目とか、スポンサーやオーナーが本業で駄目になって撤退・売却なんて事は確かにあったけど。ここまでチームの経費が前面に出て来ているのは…
現状の経費アップにはいろいろと要因があり「これが一番の元凶」と言い切れるものではないのかもしれません。「あっちのチームより良いマシンを」ってことで経費は上がっていきますからね。
しかし、ある時期を境に経費のUP率があがり、特に現在のテスト過剰な状態を招いた原因があるような気がします。しかもそれは日本人のせいでは?って気がするんです…。

思えば、ターボ以前は一部のワークスとプライベータって今よりもはっきり分かれていて
その昔は
コンストラクター=マシンを作って参戦
プラベータ=マシンをコンストラクターから買って参戦
という形がいつしか
ワークス=フェラーリルノー、自社がエンジン開発しF1に参戦
プライベータマクラーレン・ウィリアムズ・ミナルディ、DFVエンジンを買って参戦
って感じに変化していきました(今は自チーム製作マシンでなければ参戦できないのですが…)
ただ、リジェのマトラやブラバムアルファロメオみないた独占供給もあったけど、チームとしてプライベータだった。
この時代は、エンジンがレース毎に進化するなんて事がなかった…基本的なエンジンがDFVだったからね、エンジン自体の進化って毎年1・2回あるかないかって感じ。ただ、コスワースが全チーム分のエンジンメンテなんて出来るわけもないので、各チームがエンジンのメンテ・チューニングをしてくれる会社と契約してて、そこの腕の差っていうのはあった(後にオリジナル・エンジンを作るジャッドとかハートがそうだった。)

それがターボ時代になると、各チームが強いエンジンを供給してくれるメーカーと手を結ばなければならなくなる。またこの頃から1シーズン中のエンジンのマイナーチェンジが数回になり、こうなると一社で何チームものエンジンを供給することが出来なくなる。せめて、メインの1チーム+全バージョンを使う1チームって感じかな。エンジンを供給するメーカーは自社の看板が掛かっているからメインの強いチームを選び無料でエンジンを供給、もしくは資金提供まで行う。もう1チームにはエンジンを売って開発費などを少しは取り戻せれば良いって具合でした。まぁ、まだ比較的平和ではありましたね。

しかし、この空気もマクラーレンがTAGと手を結んだあたりから雲行きが怪しくなります。TAGは元々オイルマネーを母体とした技術系の企業で、ウィリアムズがサウジ航空などのオイルマネーと手結んだ時に一緒にウィリアムズのスポンサーになった会社です。それが、いつの間にかマクラーレンがTAGと手を結び、TAGからの強力な資金でル・マンなどでターボの実績が豊富なポルシェにエンジン開発を発注します。ここらへんでチームは運営資金だけを気にしていれば良いって状態を崩し始めます。

さらに、ここに空気を読まずに徹底した開発を行うメーカーが現れます、それはホンダでした。ホンダはまず試験的にF2で組んでいたスピリットと参戦しF1エンジンの基礎固めをします。そして、ある程度実力が付き始めた時にウィリアムズと組みます。そこでホンダは「馬力のあるのエンジンを供給する」するだけでは駄目、車体側との協調も必要という事を学びます。
そして、ホンダはドライバー問題などでギクシャクし始めたウィリアムズと別れマクラーレンと手を結びます。余談ですが、当時のホンダがターゲットにしていたドライバーはピケ・プロスト・セナ、それに日本代表ということで中嶋でした。私の本館やブログでも何度か話題に上がっていると思いますが、ウィリアムズのマンセル・ピケ時代にホンダはチャンピオンを確実にするためにピケNo1体制を進言するのですが、ウィリアムズはチームと同国のマンセルを蔑ろにはできずジョイントNo1を続けチャンピオンをマクラーレンプロストに奪われるって事があったんです…
そして、ホンダはマクラーレンプロスト・セナ、ロータス=ピケ・中嶋と体制を変えた事でターゲットドライバーを全てゲットできました。

さて、話を元に戻しますが、ホンダはテレメトリーシステムに力を入れていきます。まぁ、テレメトリー自体は既に他メーカーも導入していたのですが…ホンダのはそれまでの物とはレベルの違う物を導入していきます。今まではテレメトリーはマシンがピットに入った時に有線でデータを収集するのがメインで、まだまだいろいろデータはコックピットの計器やワーニングランプでの状態確認がメインで一部のデータだけを無線(それもピット前の通過時のみ)で収集していたようです。

ホンダのテレメトリーのデータはほとんどがリアルタイムでの無線送信で、しかもピットのみならず、イギリスのホンダのオフィスや衛星回線を使って栃木の研究所にまでリアルタイムに近い形で送られています。
この日本に送った事が思わぬメリットと生みました。それは、日本と現地の時差が良い影響をもらせたんです。例えば、フリー走行が終わってデータと現場の問題点のコメント等が日本に送られるのは日本では夜中になります。そして、日本では"日本時間"の朝から出社してきた社員が受け取ったデータとコメントを解析し、セッティングの方法などを調べます。それらの結果を送るのは日本では夕方でも、現地では翌日の明け方になり現場は朝から日本の指示の対策を施せるんです。
距離的に近い現地だと、ヨーロッパでは自動車メーカーのような大企業は時間外労働などの制約がきついですから。フリー走行のデータをメーカーが解析するのは次の日の朝からになり、その結果を反映するのは、また翌日、すなわち決勝日のフリー走行…逆に1日あいてしまいます。時差があることで双方の活動時間で無駄が無くなったんです。もちろん、他メーカーもテレメトリーを進化させて、データをリアルタイムに研究施設に送りその日のうちに解析・対策を行う事でこのギャップを埋めるべく対抗していきます。

こうしてデータの伝達速度や、質・量は飛躍的に増加します。データが増えれば、それを元にした対策や改善もそれにあわせて行われていき、基本的には同じエンジンでも細かいバージョンアップが多くなり、ひどい時ににはレース単位で行われ、また開催サーキットにあわせて仕様を変える等の事も可能になります。確かに、性能UPの観点から見れば良い事なのですが、これによって組み立てられるエンジン数が増加。当然、仕様の変わったエンジンはテストしなければ使えないのでテスト回数も増えて行きます。ワークスでも仮にエンジンはメーカーが無償提供としてもテスト走行の為の費用も増えますから、チームとしてさらに経費の増大に対応しなければなりません。

結局ターボは禁止になっても、テレメトリーは残りエンジンの開発ペースは変わりません。その結果ターボが禁止になっても技術と資金両方の力があるところが強いと傾向は残ります。こうした傾向はホンダの参戦前後で大きく変わっていったと思います。

ちなみに、バイクではホンダと凌ぎを削る争いを続けているヤマハもF1に参戦します。ヤマハのエンジンは基本的な機械というか、工業製品としてのレベルはホンダよりも優れた点が多かったと思います。なによりもエンジン単体の佇まいが美しかったのが印象的でした(って、これは私がメカフェチだからでしょうか…)。しかし…ヤマハの現地スタッフは数名で、しかも手弁当で専用トランスポーターもなく、供給チームのトランスポーターに間借りするような状態。対するホンダは数十名の現地スタッフ、テレメトリー等の施設も専用トランスポータが準備されパドックでも専用スペースを確保していました。もっとも、本来はヤマハのほうが普通だったんですけどね…

結局、ホンダのテレメトリー・システムが今のエンジンの細かなバージョンアップをよんでしまった様な気がします。このあたりからチームは自動車メーカーのバックアップが無ければ十分な戦力(エンジンでも、資金でも)が持てなくなりマクラーレンやウィリアムズも自動車メーカーとの繋がりが深まりプライベーターと呼べなくなる状態になります。

ここら辺になると
ワークス=フェラーリルノー自社がエンジン開発しF1に参戦。マクラーレン・ウィリアムズ自動車メーカーからエンジン(もしくは他の技術・資金)を供給され参戦
プライベータザウバー・ジョーダンミナルディ、自動車メーカーから買って参戦
って感じに変化します。

また、そうなるとジャッドやイルモア等の独立系では勝負にならなくなり、あるものは他のジャンルでのエンジン供給もしくは元のエンジン・チューナーに転向、そしてあるものは自動車メーカーに買収されていきます。供給する側もされる側も高価で強いエンジンが残っていく事になります。ちなみに、長くカスタマーエンジンを供給していたコスワースでさえ、そのエンジンの年間の値段は10年で10倍になったという話を聞いたことがあります。

さて、話はホンダの撤退後のブリヂストンの参戦に移ります。ブリヂストンは最初アローズやリジェ等の中堅チームと協力しF1に参戦してきました。それまではグッドイヤーの1社供給なので、さすがにトップチームはまだ実力の分からぬブリヂストンには手を出せませんでした。その為ブリヂストンのタイヤは性能的には安定していたのですが、供給チームがそれなりなので勝利までは届きませんでいた。しかし、時折アロウズヒルがレース終了直前までトップをブッチぎるなどの底力を感じさえる事も多々ありました。

このブリヂストンの性能にいち早く気が付いたトップチームはマクラーレンベネトンでした。ちょうどこの時期はF1のレギュレーションが改正され、タイヤのグリップダウン(タイヤに溝をつける)やダウンフォースの低下(ボディやウィングのサイズを変更)がおきます。ここでドライタイヤに溝を付ける事はグッドイヤーも初めてだったので、これがブリヂストングッドイヤーの経験の差を埋めてくれました。

そしてダウンフォースやグリップの低下についてブリヂストンマクラーレンにボディ後半のダウンフォースやグリップ力の低下を前輪の仕事量を増やして補うことを提案します。こうして、ブリヂストンはそれまでと違い前輪のサイズをUPします。これが大正解でマクラーレンブリヂストンは他を圧倒する速さをみせます。対抗するフェラーリグッドイヤーも、特にシューマッハのリクエストでグッドイヤーブリヂストン流の処置、すなわち前輪のサイズをUPして対抗しますが時既に遅しで、マクラーレンがチャンピオンを獲得します。嘘か本当かは分かりませんがシューマッハはこの頃からブリヂストンに一目置いていたと言っています。

その後、グッドイヤーが撤退し暫くは平和な時代だったのです。なぜなら全チームが同じタイヤメーカーを使うのですからタイヤ競争の為のテストは著しく減少というか不要、タイヤに関して言えば開発は一部のチームが先行テストしますが、一度に大きなバージョンアップは無くグリップレベルは変わらずにライフを安定させる方向が多いために、他チームがその後にセッティングのためのテストだけでもタイヤによるチーム間での大きな差は発生しませんでした。

しかし、これも長くは続きません。ミシュランがF1に復帰を決め。しかも、復帰時のパートナーチームはウィリアムズでした。ブリヂストンの参戦の時と違い、最初からトップチームと組むミシュランに危機感を抱くブリヂストンは、特にトップチームのマクラーレンフェラーリにテストの増加を要請します。

実際にミシュラン+ウィリアムズは初年度からなかなかの速さを見せ、複数回の優勝もありました。これに対抗するためにブリヂストンフェラーリマクラーレンに対して2つの要求をします。

一つは、テスト・実戦を通して得られたタイヤ関係の情報をシェアしてほしい。これにたいしフェラーリマクラーレンは双方YESと答えます。が、やはりライバル同士ですから…いまいち成果は上がりません。
実はこの時にフェラーリからマクラーレンに対してフィオラノのテストコースでの共同テスト案まで提案されまたという話もあります。そうすれば同条件でのテストデータをお互いに入手しやすいメリットもあります。しかし、コース各所にビデオカメラや計測機器が設置されているフィオラノでテストする事はマクラーレンのマシンの性能もフェラーリに調べられてしまう可能性が高いために当然のように実現しませんでした。

もう一つのの要求はテストチームを強化して欲しい、早い話テスト時にはタイヤ専用テストチームを用意して欲しいと要求します。トップチームはテスト時には大体テストドライバー+レギュラーで2台くらいでテストしていますが、これにタイヤ用に1台追加するという事です。この要求に対し、フェラーリはYESと即答し、レギュラーやテストドライバーのバドエルの他にも常にもう一人テストドライバーを走らせます。対してマクラーレンは「状況によって増やすが、基本的に今のテスト体制で十分では?」と返答します。

当然、常にタイヤ専用にマシンを1台用意するフェラーリからのデータ量が増え、ブリヂストンのタイヤに反映される事も比例していきます。したがって、この時点でブリヂストンは差別していなくても自然とフェラーリ寄りのタイヤになっていきます。これが面白くないのはマクラーレンです。誰もが、マクラーレンの久々のチャンプ奪回にはブリヂストンとのコンビネーションが大きい要因だったので、双方強い絆が出来ていると思ったのですが…。結局、マクラーレンミシュランを選択します。しかし、元々ミシュランはほとんどウィリアムズ用タイヤのような状況でしたので、今回はマクラーレンもテスト体制を強化しミシュランへの情報供給を増加させます(だったらブリヂストンの時にやっておけば良かったのに…)。なお、タイヤレギュレーションもドライタイヤは各チーム2種類から選択はそのままですが、タイヤメーカーがチームへ供給するタイヤは全て同じでなくても良くなった為、各チームのタイヤテストはますます増加します。その為に車体側のレギュレーションを変更してタイムを落とそうとしても、タイヤ競争がそれを凌駕してタイムが上がる事もありました…

フェラーリ以外の有力チームは全てミシュラン陣営となり、全チームが同じタイヤでは無い事。これによって、今度はブリヂストンが脅威を抱きます。そこで、ブリヂストンフェラーリとより深く関係する道を選びます。翌シーズン用のフェラーリのマシン開発スタッフにブリヂストンの社員が参加、また、ブリヂストンの社内にもフェラーリの人間が派遣されるという異常な事態になっていきます。また、シューマッハブリヂストンの現場のマネージャー浜島氏をハミーと呼び勝利の後は必ずハミーと抱擁し、レースによっては「ブリヂストンの為に勝利する」と明言するほどの強い結び付きになって行きます。

BARが以前ブリヂストン・ユーザだった時…マクラーレンベネトンを失ったブリヂストンの要請をうけBARもフェラーリほどでなくてもテストチームを拡張しようとしていました。が…あるタイヤテストで試したタイヤの性能UPに喜んで「今度のタイヤはいいね」とBARのスタッフが言ったらブリヂストンの技術者が「そうだろう、先週フェラーリも喜んでいたよ」と答えたそうです…。これでタイヤの開発方針は、まずフェラーリが試してからって事が証明されてしまいました…このブリヂストン側の態度がBARがミシュランへスイッチした理由の一つとも聞いています。

ミシュラン陣営のチームは多くのデータを供給し自チームにあったタイヤを作成してもらうために、そしてブリヂストン=フェラーリはチーム数が少なくためにテストのレパートリーを増やすためにどんどんとテストが大規模になっていきます。テストの日数が制限されれば台数を増やし、台数を制限すれば走行量を増やすという感じでテスト=費用が増加していきます。

まぁ、ほっといても競争ですから、「あそこがやるなら俺もやる」って事で開発がエスカレートして自然に経費も上がって行くのは必然なんで、この二つの事柄が無くても経費はどんどんUPしていったと思います。しかし、それをある時期加速させた大きな要因はホンダとブリヂストンかなって思うんですよ。もちろん、ホンダ・ブリヂストンに共通しているのは「勝つ為の真摯な態度」であり、日本人特有の勤勉さが招いたことで批判できる事ではないのです、開発担当者の手記やインタビュー等では、その努力に驚かされる物もあります。…ただ、がむしゃらすぎるかなって感じは受けますね…