サイドウェイ・ロニー

実はこの文章は、本館の方でのロニー・ピーターソンのロータス用のコメント文章だったですが、本館の方のコメントが日に日に長文化してて、この文章も元はこれだったのですが、あまりに長すぎる為、一部カットして掲載していました。
最近、映画等のDVDでディレクターズ・カット版とか上映時にカットされた部分も収録して販売なんて流行っているので…(^^;

誰が始めに言ったのか分かりませんが、「勝つべき人間は、勝つべき時に、勝つべきチームにいる」そうです。勝つべき人間であるにも関わらず、この法則にのれない人間もいます。現役ではフィジコがそうなりそうな…

F1史上最もこのタイミングが悪かったのは、彼、ロニー・ピーターソンではないでしょうか?

「スーパー・スウェード」「サイドウェイ・ロニー」「モンツァの帝王」という異名を持ち、攻撃的かつ頭脳的なドライブをする男。しかし、F1マシンから離れると、これがレーサー?と思えるほど紳士的かつ朴訥な男だったようです。

マックス・モズレー、言わずと知れた現FIA会長。仲間とマーチを設立し直ぐにロニーを自チームで走らせますが、ロニーの走りにマシンがついていかずクラッシュを多発。モズレーはロニーを「壊し屋」と決め付け放出します。この人の見る目って当時から一体…。ちなみに、後のチャピオンのハントもやはり「壊し屋」として放り出したはず…

放出されたロニーの才能を見抜いたのはF1の神様ロータスコーリン・チャップマンでした。チャップマンは周囲の反対の声を押切りロニーをチームに迎えいれます。1973年ロータスには既に前年のチャンピオンのエマーソンがいたのでロニーは当初No2としての役割を守ります。しかし、ロニーが一度勝つとチャップマンもロニーをNo2扱いしなくなり、結果、ロニーとエマーソンがポイントを潰しあいチャンピオンはティレルのスチュアートに。

これが原因でエマーソンはマルボロの誘いでマクラーレンに移籍し、ロニーはロータスのエースとなったのですがエマーソンの移籍は自分が原因だったのか一時期悩んでいたそうです。

さて、ロータスでエースの座についても74年以降のロータスは他チームの成長に追い越された感があり満足な成績が残せませんでした。ロニーは悩みながらも「勝つ為に」ロータスを出ます。しかし、ロニーの移籍先のマーチ・ティレルもロニーの時期に不振に陥りました。

結局、ロニーはチャップマンに許しを請いロータスに復帰します。チャップマンは元々ロニーの才能を見抜いた事もありチームの復帰を認めます。が、この頃のロータスは他チームに先駆けて開発したウィングカーで再びトップチームに返り咲きアンドレッティがチャンピオン争いをしていた為、またもロニーはNo2としてのチーム入りでした。

今回は忠実にアンドレッティをサポートしアンドレッティとロニーで1・2フィニッシュを繰り返します。この時期のレースを見てロニーの才能が本物だと周囲も認め、ついにはマルボロマクラーレン入りの話を進めてきました。ロニーは78年はロータスへの恩返しの為に忠実にチームをサポートし、自分は翌年マクラーレンもしくはロータスでチャンピオンを狙えば良いと考えていました。

この年のイタリアGP、既にシーズン終盤になりポイントはアンドレッティとロニーが大きく他を引き離しており、またロニーが忠実なNo2の為アンドレッティのチャンピオンはほぼ確実、もしアンドレッティに何かあってもロニーがチャンピオンになる事が決まっていた。

フリー走行でロニーは自分のマシンの79をクラッシュさせてしまい、レースにはスペアカーとして持ってきていた前モデルの78で決勝を走る事になります。

決勝のスタートは、フォーメーションラップ後に各マシンがグリッドに整列しきる前にシグナルがグリーンになってしまいました。完全に止まってシグナルを待っていたトップグールプと停止しきる前にシグナルグリーンで慌てて加速した下位マシンで第一コーナーは大混乱になり多重クラッシュが起きてしまいます。ロニーのマシンも巻き込まれマシンのフロント部分が砕け散っしまい、剥き出しになった彼の足は砕けてしまいます。(これがロータス79だったらもう少しダメージが少なかったのでは?と言われています)

いまでもF1のメディカル面の全権責任者のシド・ワトキンス博士は当時既にF1のメディカル・ドクターとして活躍していました。博士はロニーの症状を見て、「歩行に不自由は残るかも知れないが命に別状は無し」と診断し直ぐにイタリアの病院に搬送し後の治療をその病院に任せます。
…後にロニーの死が発表されました。ワトキンス博士が病院で確認するとなぜか両足を切断され、その切断後の処置が悪く容体が急変し死亡…要は医療ミスだった…また、その病院は廊下にタバコの吸殻が散らかっているような病院だったらしいです。

このクラッシュについて、当時「生意気なビッグ・マウスの若造」と陰口バンバンのパトレーゼ(90年前後からF1見ていた人にはイメージ湧かないだろうな…パトレーゼといえば良い人代表って感じだったから)が普段のイメージのせいか濡れ衣着せれていて、追放を求めたドライバーまでいましたが、後に前述のようなシグナルのミスと分かり彼の危機は去りました。

この事故でポイントランキング2位のロニーが亡くなった事によりアンドレッティのチャンピオンが決定します…彼は人生の最後をロータスの恩返しに捧げた事になってしまいました。

また、さらに残念な事があります。彼の奥さんは美人で社交的で、誰もが羨むような夫婦だったのです。周囲は朴訥なロニーと活発な奥さんの組み合わせが不思議だったようですが、いつも仲の良い二人は周囲の人たちにも歓迎される夫婦だったようです。しかし…彼の死後…奥さんはいつまでも悲しみから立ち直る事が出来ず、ドライバー仲間やその奥さんたちからも外出等に誘われますがまったく受け入れず、自宅に引篭もってしまい…彼の死から4年後に…自ら最悪の選択を選んでしまいます…。

そんな彼ですが、私的にはロニーは(良い意味で)神格化できないのですよ。絶対的に見ている映像量がジルやセナに比べて少ないのもあるけど(でも、あのヘルメットは印象的だったな。確か、故ミケーレ・アルボレートのメットのカラーはロニーの物を元にしたデザインだったと思った)。

チーム移籍の度の彼の確執とか、彼の車に乗っていない時の良い意味で人間的に暖かいエピソードをいろいろ聞いていると、ロニーは人間的なグレート・ドライバー代表って感じなんです。

で、その一例…。どのGPか忘れたんだけど、その国の記者に「君は熱帯魚を飼っていたんだよね。これ、僕が飼っている熱帯魚にあげている餌なんだけど、良い物みたいだから試してみて」ってレーシング・スーツのポケットから熱帯魚の餌を取り出して記者に渡します。実はその記者とは、一年前にちょっと立ち話をした時に熱帯魚の話題がチラッとでて、同じ種類の熱帯魚を飼っていたって話しただけだったらしいです(実話かどうかは定かではありません)。