冬が来れば思い出す … あなたの知らない死語の世界

今、オリンピック真っ盛り。いつもは金メダルの数なんて気にしてないほうなんだけど…コレだけ4位とかが多いとさすがにヤキモキ…
おかげで、今までのオリンピックよりもTV観戦して寝不足って人も多いかも

さて、テレビでスキー競技(特にモーグル)を見ていつも思い出す言葉…「スキーヤーの足」

で、F1でこの言葉でピンと来る人は、かなりの「オ・ジ・サ・マ」か「オ・タ・ク」な人とお見受けします(前者はモアちゃん調、後者はクルル調で)。

まぁ、きちんと言うと「理想のサスペンションは、スキーヤーの足」が正解かな?

で、聡明な方はもう、察しがついていると思うけど。ギャップでは柔軟に凸凹を吸収し、ポールを回る時などは内側のエッジをたてつつも内側に傾斜した重心と外足荷重のバランスを保つ。これって、車のサスペンションに共通する事ですよね。

で、この言葉は70年代中盤までは良く使われていました(特にチャップマンなどのロータスが使っていた印象があるのは気のせいかも)。しかし、70年代後半からプツッと聞かれなくなります。

それはなぜかというと…奇しくも、ロータスが先鞭をきったウィングカーがきっかけでサスペンションの考え方が変わってしまったのです。それまでは「ある時はしなやか、ある時は強固」が理想だったのですが、車体下面と路面の間でおきるヴェンチュリー効果でダウンフォースを得るウィングカーでは、乗り心地(もっとも、コレに関してはそれまでも二の次以下だったけど)や、しなやかさは無視され、路面と車体下面の位置関係を一定にする事がサスペンションの第一目的になりました。おかげで、ドライバーはえらい目にあう訳です。

さて、ウィングカーが禁止になると、再び「スキーヤーの足」の考え方が復活します。先ほどからの「しなやかさ強固さ」を求めますが、ここで「スキーヤーの足」と「車のサスペンション」の大きな違いに着目されます。それは、スキーヤーは雪面の状況と自分の滑りを考え、または反射的に足腰の使い方を決めていきます。ようはスキーヤーは人間ですから考える事ができる、対して車は路面からの入力に対してサスペンションが反発する受身の装置です。

すなわち「自ら考えるサスペンション」でなければ本当の意味での「スキーヤーの足」にはなりえないとう考え方を持つ人物が現れます。その人物は、またしてもロータスの総帥コーリン・チャップマンです。

当時は日本でも「マイコン」という言葉が一般化しつつあり、今のパソコンほどではないにしろコンピューターの小型・汎用化が一気に加速し始めた頃で、小型コンピュータでサスペンションの状態を制御してやろうと思いつきます。そのシステムをアクティブ・サスペンションと名づけました。

従来のサスペンションは、外からの条件を受けてスプリング等が作用する、受身のシステム(受身=受動的=パッシッブ)、に対して自ら考え作用する(能動的=アクティブ)という事です。

しかし、まだ当時のコンピュータでは考えるといっても、いろいろな条件をデータ化し、その条件でサスペンションの状態を設定するだけの話…といっても、まずはデータが多ければ設定できる条件も限られます。しかし、条件が多ければ多いほどデータか条件を得るまでの演算に時間が掛かってしまいます。

しかも、いくら「マイコン(マイクロ・コンピュータ)」といえど、当時の技術では、現在の我々の携帯電話程度の昨日でも弁当箱くらいの大きさになってしまいます。

アクティブ・サスペンションを搭載したロータスのマシンは、なかなか期待された性能を発揮できず、ドライバーの意図しない動きなども多くチームも開発と休止を繰り返していました。

とどめは日本人初のレギュラー・ドライバーとなった中嶋のマシンでした。中嶋のF1参戦には同時に全戦放映権を取得したフジテレビのバックアップもあり、そのバックアップの条件として車載カメラの搭載もあったようです。もちろん、この車載カメラも今ほどの洗練された物ではなく、5cm X 5cm X 15cm 位(もうちょっと大きかったかも)の四角い金属の箱が無造作に取り付けられ、それの動作用の電源も今よりも強いものが必要でその配線がアクティブ・サス用のCPUの近辺に配線され、その配線の出す電気的なノイズでアクティブ・サスが誤動作する事もあったよです。

その時のチームメイトのアイルトン・セナがその様子を見て「ただでさえ誤動作の多いアクティブ・サスに加えあんなカメラを搭載した中嶋のマシンは現マシンの中で一番複雑なマシンになってしまっている。あんなものでマトモにレースができるわけがない!!」と、チームやフジテレビにクレームを出してくれたという話もあったと聞いています。

そんなロータスの苦労を見ていた人物がいます。ウィリアムズのパトリック・ヘッドです。

彼は、それまでもティレルの6輪やロータスのウィングカー等を見た時に、すぐには飛びつかず、それを自分なりの解釈し十分な消化をしてから実戦投入し本家の物よりも完成度の高い物を実現させていきました(もっとも6輪ウィリアムズに関しては、テスト段階でレギュレーションで禁止になってしまいましたが)。

アクティブサスについても、ロータスの苦労からヘッドの解答がでます。
それは、ロータスのアクティブサスは複雑すぎるという単純な事でした。ロータスは、基本的な車高の調節のほか、サスペンションのストローク長、ストロークのスピード等などできる限りを制御しようとしていました。

80年代後半からフラットボトム規制が落ち着いた頃、マシンのダウンフォースにはウィングカーほどではないにしろマシン下面の空気の流れが重要視されてきました。マシン下部の流れをスムーズに後部のデフューザーに流す事でダウンフォースを発生させてる点です。

そのために、マシンの姿勢、路面とマシン下面の位置関係が安定しないとダウンフォースも安定しません。

そこで、ヘッドはアクティブサスその点に関しての制御と割り切り、通常のサスペンションの働きは従来どおりとします。つまり、マシンの加減速でのピッチングやコーナーリング時のロールの発生に対してのみの制御…。具体的には右にステアリングを切ると通常マシンの姿勢は左側が沈み、右側が浮き気味になります。そのときに、左のサスペンションが延びて頑張り、右のサスペンションが少し縮む動きをすることでマシンは直線の時と同じ姿勢を保つ事ができる。という事です。

これが当たりでした。しかも、ロータスが始めた頃より技術が進みCPU等も小型・高性能化されていた事も成功の要因でした。このシステムは、リアクティブとかアクティブ・ライドとか呼ばれ、このシステムを搭載したFW14BはF1史上屈指の最強マシン(同シーズの他マシンのと比較にはなりますが)になり、他のチームをウィリアムズのシステムに倣います。

本家のロータスは、総帥チャップマンの他界等で一時の勢いを失っていましたが、日本のコマツ(ブルドーザ等を作っている会社)の技術提供でシステムの小型化に成功し、マクラーレンと共に他チームにアクティブサスペンションのシステムを販売できるほどのものが開発でき、ハッキネンとハーバートのコンビで勢いを取り戻しつつあったのですが…当時バブル経済の恩恵を受けた日本企業が多くF1へ進出し、ロータスにも色々な日本企業のスポンサードがあったのですが、バブル経済の破綻と共にそれらのスポンサーが消えると再度ロータスは中団以降のチームへと減退していき、オニキスチームと合併する等しても一度下がり始めた勢いはとまらず…最終的にはチャップマンの遺族が法的にロータスのチームを他人が使えないようにとの請求が認められF1の歴史から消えてしまいました…

ありゃ…ちょっとした思い出話がこんなに長くなっちゃった…まぁいつもの事か…

さて、このように紆余曲折で完成されたアクティブサスですが、その後どうなったかというと…ハイテク禁止、特にドライバーズ・エイドといわれる運転を助ける装置の禁止で消えてしまいました。細かい話ですが、ドライバーに言わせるとアクティブサスはドライバーズではなかったようです。

他のオートミッションやTCSやABSはドライバーズ・エイドだけど、アクティブサスはドライブを難しくしていたようです。と、いうのは、ドライバーはコーナリング中にマシンのロール等の挙動を体に感じてマシンの限界を探ってコントールしているのですが、アクティブサスではマシンのロール等が無い為にドライバーが「ここまでいけるはず」でドライビングをしなければならなくなってしまいました。

例としては、速さでは抜群の3人、マンセル・プロスト・セナがウィリアムズ加入時にプロストがマンセルのマシン、セナがプロストのマシンを初めてドライブした時には、それぞれが前者の出すタイムに初めてのドライブという事を差し引いてもおよそ及ばないタイムしか出なかったらしいです(もっとも、プロストもセナも数週すればすぐに十分なタイムを出したそうですが)
また、FW14ではマンセルとパトレーゼは互角なタイムだったのがアクティブサスを搭載するとパトレーゼはマンセルにかなわなくなったのもここらへんの影響だったようです。